かれこれ一昔前、スウェーデン、ヒッチハイクの旅をしていた。
そしてある切っ掛けでしばらく住み付くようになってしまった。
スウェーデンの老夫婦二人だけが住む家に一緒に住むようになり、起居を共にするようになった。
意思疎通のためには心で、ということも有り得たが、
やはりスウェーデン語で意思疎通を図るしかない。
わたしはスウェーデン語習得に一生懸命励んだ。
隣町の図書館に行って、スウェーデン語習得の本を借りてきた覚えがある。
英語、ドイツ語はそれなりに習得して知っていたので、
スウェーデン語はなぜかやってみるとそんなに難しそうには思えなかった。
が、次第に人々の間に深く入って行くとそれはそれは発音が聞き取れないという自分に直面した。
朝から晩まで家の中に居て、老夫婦の会話相手をしていたが、それも段々と飽きてきて、
外へと出て行って何かをしたいという思いが強まった。
何かアルバイトをしたい、滞在中に旅費稼ぎをしたいと思った。
そんなわたしの思いを知って、老婦人のマリアさんは近くの町で職探しをしてくれた。
市内のレストラン、キッチンで約一ヶ月間、洗浄アルバイトがあるという情報を得た。
実はその仕事をしている女性が一ヶ月間夏の休暇を取って、アフリカへ行ったとか。
その彼女の埋め合わせとして誰かを探していたとか。
ちょうどうまい具合にわたしの思いが通じたかのように、仕事、アルバイトが見つかった。
職場ではコックたちが使用した大きなアルミ製の鍋やらなにやらを全て綺麗に洗うことに終始した。
それだけであった。皿とかカップとかを洗うという仕事ではなかった。
隅っこの方に隠されたかのような専用の洗い場があって、その洗い場と自分とが就業時間中、ずっと一緒にいるという具合であった。
ホテルで働いている人たち、直ぐ近くにはコックたちがいる。
コックたちのさらに向こうにはウェイターやらウェイトレスが働いている。
でも直接の接触はない。
毎日、自分一人が洗い場に向かって、上半身がすっぽりと中に入って
しまうほどの口の広い料理用の深い鍋等と相対しているだけだった。
つぎからつぎと使用済みに、料理用のアルミ製のモノが直ぐ脇に高く積み上げられてくるので、
休む暇もなく次から次と両手を、上半身を動かし続けていた。
何週間か経った。周囲の状況にも慣れてきた。
コックたちとも個人的に顔見知りになった。
また、異国人がキッチンの隅で働いているという情報がホテルの従業員たちの間にも口コミで広まって行ったのだろうか、
興味を持つ人たちがちらほらとこちらの方に視線を投げ掛けているのがときどき感じられた。
ウェイトレスのアルバイトをやっているらしいスウェーデンの女子学生やら女の子たちが関心を持ち出したようだった。
わたしも食器類の相手ばっかりに少々飽きてきてしまい、やはり生身の人間たちとの相手をしてみたいと思い始めるようになった。
ところが、彼女たちのスウェーデン語の喋りがとっても早くて、この耳に届いても何も理解出来ていない自分の唖然としてしまった。
ものすごく早口に聞えた。
早口過ぎる!
そういう感想を抱いた。
本場の、日常のスウェーデン語会話は実に躍動的であったし、音楽的であったし、この耳に快い響きを残して行くのだが、
その意味までも把握できるほどには残ってはいなかった。
反省させられた。
これでは会話も交わせない、と。
そもそも相手が何て言っているのか、さっぱり分からない、把握できないのだから返答のしようもない。
真剣にスウェーデン語を勉強しなければならない!
と自分に発破をかけた。が、早口に話す彼女たちの話が分かるようにと強く意識し始めた。
真剣になっても分からないものは分からないのであった。
分かるまで時間が掛かるのだろう。
* *
今はもうスウェーデンに住んではいない。
若いころの思い出としてスウェーデンでの滞在は記憶に残っている。
お世話になった老夫婦はもうこの世にはいない。
その子供たち、そしてそのまた子供たちはスウェーデンで暮らしていることだろう。
コンタクトするにもどこに住んでいるのかも分からない。
当時18才だという金髪のノルウェー人のウェイトレスもいまとなっては50才近い筈。
とっても魅力的であった。とっても惹かれた。そのスウェーデン語の喋りがとっても早くて
付いていけなかったが、何とか二人で会話が出来ないものかとその機会を狙っていたものだ。
自分が言いたいことを自分の方から先に言うという作戦に出た。
相手が言うことに任せてしまうともうこちらとしては完全にお手上げ。
何を話題にしているのかもちんぷんかんぷん。
だからこちらで聞きたいこと、言いたいことを先に自分なりのスウェーデン語で話し掛けた。
質問に対する答えはほぼ予想されるものと思って喋ったが、やはり早口の返答は戸惑うほどに聞き取れないという自分を発見するのだった。
今、またスウェーデン語を習得しなおしている。
あの30年前の不甲斐無さを返却するかの如くに、
また当時の人たちとの会話をこれからでもしたいかのように、
すこしづつ、毎日、発音練習をしている。
コンピュータのことをスウェーデン語では en dator
ネクタイのことをスウェーデン語では en slips
新鮮な愕きを見出している。